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僕は戦前の生まれで、高度経済成長を謳歌した世代です。物質的に豊かになることがとても嬉しかった。でも、いつの頃からかそういう豊かさに違和感を覚えるようになったんです。
■子供たちにメッセージを残したい
初めてチェルノブイリを訪れたのは1991年のことで事故が起こったのが1986年ですから5年後のことです。当時報道写真家をしていた僕に、「チェルノブイリ連帯基金」という団体が機関紙に載せる写真を撮ってほしいということで依頼がありました。事故が起きた炉の前で放射能を測定したら正常時の600倍もあり、みんな驚いてバスに逃げ帰りました。よく考えればそんなことしたってもう遅いんですけどね(笑)。放射能は目にみえない、痛くもかゆくもないことが問題なんです。その後、被災した子供たちが入院している病院を訪問したんですが、抗がん剤で髪の毛が抜け落ちた子供たちが日本からお客さんが来るというのでベッドの上で笑顔を作って迎えてくれるんです。それが耐えられず、本当は写真を撮影しなければならないのに最小限の写真しか撮れませんでした。そしてその時、この子たちにわかってもらえるメッセージを残したいと思ったんです。
■人と人の関わり合いが作った作品
もう二度と行きたくないと思ったチェルノブイリですが、その後30数回訪れました。ブジシチェ村のことをおしえてくれたのは衛生局のナターシャさんでした。ブジシチェ村はチェルノブイリから180km離れたところにある汚染地区でした。そのときの風の向きや雨の影響で離れていても汚染されるんです。でも、初めて訪れたときは春でそんな汚染地区だなんて信じられないくらいいい所でした。一緒に行ったお医者さんたちが診察に明け暮れている間、私はブラブラと村中を散策しました。そしていろんなお宅でお酒や食事をごちそうになって・・・。この映画はそんな人と人との関わり合いが作った映画です。
■生きる手
映画をご覧になって皆さんも思われたことでしょうが、生きる、暮らす技術をたくさん持っているって素晴らしいことだと思います。(村人たちは水を汲み、木を切り、かごを編み、家畜を育て、家畜を食べ・・・すべて自分たちの手で生きています。)本来なら、僕もそういうことができなきゃいけないはずなのに、僕たちは生きる手を失くしてしまっている。バッバと握手するとき僕は自分の手が恥ずかしくてしょうがない。
この映画はアレクセイと55人の村人たちと泉の話です。事故以来ほとんどの人が村から出ていったのに、この人たちだけは出ていかなかった。それはなぜかと尋ねたら、「町へ行ったら水を返せない」って言うんです。僕はこの言葉に衝撃を受けました。体内の70%が水でできている人間は、その水を地球から借りていると考えるんです。とても謙虚な考えです。昔、水を出しっぱなしにしていてよく母親から怒られました。僕たちはいつのまにかそういう謙虚さを忘れ、地球や自然に対して傲慢になっていることに気づかされました。地球の中で人間が使える淡水は、0.001%しかないそうです。それを循環させて使っているんです。
■人類の進歩は愚
書物からの受け売りですが、300年前の地球の人口は今の10分の1の6億。300年の間に人口が10倍も増えました。それは産業革命があったから。産業革命の一番の発明は蒸気ポンプです。水は本来上から下に流れていくのに、蒸気ポンプのおかげで低いところから高いところにも水を送れるようになった。それまで住めないところにも住めるようになった。蒸気ポンプのせいで自然のバランスが崩れてしまったんです。ま、そのおかげで僕もこうしてこの世に生を受けているのですからなんとも言えませんが…。
これも受け売りですが、原始キリスト教の経典に「人類の進歩は愚だ」と書かれてあるそうです。発達したものを悪用して生きている。僕たちが作ってしまった豊かさの後始末を21世紀はしていかなければなりません。
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