
モンマルトルに近いこの部屋に引っ越してきてもうすぐ一年になる。クリスマスというのは日本人であるぼくにとってそれほど大きな意味をもたないのだけれど、やはり一年の大きな節目であることはたしかだ。去年のいまごろはたしか一月はじめに入る新しい部屋を探すのに忙しかった。 ところで、いま住んでいるアパートの、通りを挟んで向かいの建物の5階、6階にはそれぞれ独り身らしい年寄りの女性が住んでいて、その二つの部屋がちょうどぼくの部屋のお向かいにあたる。5階は小さなベランダのある普通のアパート、6階は天井部分が彎曲した屋根裏部屋になっている。食卓につくとちょうど真向かいに見えるのでつい目に入ってしまうのだけれど、6階の老女はかなりの早寝早起きらしく、日暮れすぎには鎧戸が閉じられ、朝は6時前から大きすぎるテレビの声がニュースを読み上げるのが聞こえる。5階の老女はもう少し夜更かしらしく、10時すぎまで灯りがついていることもあるし、朝もそれほど早くはない。ベランダに置いた鉢植えの赤い花の萎れたのをときどき摘んでは通りに捨てている。 ちょうど住み始めて半年くらい経ったころだろうか、あるときふと、もしかしたら二人の老女は同一人物なのではないかと思いはじめた。5階の住人はいつもこぎれいな格好をしてるのに対し、6階の住人はいつも寝起きらしいバスローブのような寝間着のガウンを羽織っているので一見別人のようだけれど、5階の部屋はサロンとキッチンしか見えないし、6階の部屋は寝室のように見える。それぞれ中庭側に別の部屋があると思いこんでいたものの、もしかしたら内部に階段のあるメゾネットタイプのアパートなのかもしれない。ただ、このそれらしい仮説にも問題がないわけではない。というのは、6階にもキッチンらしきものがあり、毎朝朝食を準備するらしい物音が聞こえるからだ。一つのアパートに二つのキッチンがあるというのは不自然な話だ。 ようするに、二人の老女が別人だとすれば、5階と6階の窓に二人が同時に現われる決定的瞬間を目撃すればいい。逆に、同一人物だとすれば、たとえば6階に現れた老女が次に同じ格好で5階に現れるときを待てばいい。とはいえ、年中外を観察しているわけではないし、通りを隔てた向かいの家の中まで見通すことはできないので、これまでそういう機会がなかったのだ。 さて、クリスマスの朝、少し遅い朝食を取りながら窓の外を眺めていると、6階の老女が窓を開け放って部屋に掃除機をかける姿が見えた。しばらくすると5階のキッチンとサロンを行き来しながら何かの準備に忙しいらしい老女の姿が現れた。6階の部屋の窓は腰上の高さだし、5階の部屋はいつも薄暗いのでよく見えないのだけれど、ぼくの目にはたしかに二人が同一人物のように映った。 その夜、外がざわざわと騒がしいので窓を開けてみると、向かいの5階のサロンの窓にいくつも人影が浮かび、談笑する光景が目に入った。ぼくの知るかぎり、この一年近くの間、その向かいの家に来客があったことはなかった。窓には白い紗のようなカーテンがかけられ、その向こうにロウソクの明かりがいくつもぼんやり浮かんでいた。ワインの酔いがほどよく回りはじめたころらしく、晩餐はときどき楽しそうな笑い声に包まれ、食器がぶつかり合う音もにぎやかで軽快だった。夏のバカンス中もひとりパリにとどまっていたらしい年寄りを遠くから訪ねた親戚だろうか。中年の夫婦や孫くらいの年ごろの少年の姿もあった。 夜中に喉の渇きを覚えてキッチンに水を飲みに行くと、向かいのサロンの窓はまだ明るく、話し疲れてか隣人に気をつかってか抑えた声で語り合うらしい音がかすかに聞こえた。時計を見るともうすぐ明け方の4時、こんな時間までサロンに残る客がいることを考えるとその夜の晩餐は盛り上がったのだろう。ふと6階の窓を見上げると、この時刻にはいつも閉められている鎧戸が開かれたままだった。 |