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こんなタイトルをつけてまるで教育者のエッセイのようですが、私たちの身近にまた心が締め付けられるような事件が発生しました。普通の家庭で普通の育ち方をした普通の子供。事件の結果は世の中を震撼させるような出来事ですが、たぶんそこに至るプロセスは全く普通に私たちの日常にころがっていることでしょう。
親のコメント…何の問題もなく育ってきたのにこんなことを起こすとは…
校長のコメント…いままで私が教えてきたことは何だったか…無に等しい…
子供の心に入り込めない、本当に何も見えてなかった大人たちの虚脱感は理解できるような気がします。
「家」を造る、「空間」を造る仕事に携わってきて痛感するのは、その家族の「家」を造るということは、その家族の生き方を、もっといえば人間性を形に表す作業だといってもいいということです。その家の人たちが何を思って、どうしたくて、どこをめざしているから…。そんな「核」になる部分がしっかりでてくるのです。「家族の絆」という今では古臭く感じるこの言葉も、きっと子供たちには見えないへその緒として生きていくために必須なものなのではないでしょうか。
そんなことを新聞で、毎日事件を追いながら考えていたところに、興味深いコラムを読みました。建築家のものでもない、住宅メーカー発行のものでもない、小学生向けの通信教育をしている某教育会社のリーフレットでした。その通信教育の会社が、子供部屋をどのようにしたら勉強環境をベストにできるかということを書いていました。
要約すると、
子供部屋=勉強部屋にしてしまうのはいかがなものか。子供部屋というものはその子の基本的な生活習慣を整える場所である。個室を与えることと学習習慣を形成することは一致しないものである。何もかも揃った子供部屋では、寝る、起きる、着替える、片付ける、自分の持ち物を管理する、そんなトレーニングから始めるべきで、勉強はリビングルームの一角でやればよい。そこに家族がいる安心感、質問出来る、会話できる、一緒に調べる、それが根底にあれば自然に学習習慣は作られるものだ。
こんな記事を読んでものすごく新鮮でした。この会社はレベルの高い学校に合格できる実績が有名で、まさにガリ勉タイプの子供たちがたくさん加入しているような通信教育の会社です。その会誌でどうどうと勉強はリビングで、と言っています。もっと家族が近くにいて、もっと話ができて、そんな普通のことがやはり重要なのだと感じます。
こんな仕事をしていると、往々にして決まりきった固定観念で押し進めていくことが多いですが、もっとその「生き方」を反映できる空間を提供できるようにならないとだめだなぁと感じました。
おまけとして神戸在住のとある建築家の話
「阪神大震災で子供をひとり亡くしました。家も倒壊しました。新しく建てた家は子供の部屋はベッドだけしか入らないような小さな空間にしました。もちろんドアもありません。一生のうちで子供といることのできる時間は本当に一瞬なのです。だからその時間はできるだけ家族でくっついていたいでしょ。」
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